薬草魔女になるまでの道のり


Ⅱ.小・中・高校生の薬草魔女Maya

Ⅰでは生い立ちから6歳くらいまで話しました。
この自分史は、心理士としての私を理解いただくことと、心理を読み解くとはどういうことかを知っていただくためのものです。
今回から、都度「こういう場合の心理は、、、」などの解説を入れていきます。
非常に生々しい表現が出てきますが、心のケアを目指す方にとっては、それを拒絶せずに、冷静に分析する必要がありますので、その訓練としても活用できます。

小学校での最初の3年間は、「一人にしておいてくれ」が正直な気持ちでした。
独りで結構なのに、「一人はかわいそう」を押し付ける空気になじめず、気持ちも乗らないのに合わせて話すこともせず、何とか耐えて毎日を過ごしていました。
小学2年生のころに、話しかけてきた子と友達になってから、気持ちに変化が生じました。
彼女の「一人でかわいそうだったから友達になってあげようと思って」という最初の声かけに違和感を感じたものの、それを素直に受け入れ、以後仲良くしていました。
周囲から見ると、私がその子にいつもくっついていて大人しいので「親友」と見えたかもしれません。
確かに親友でした。
彼女の前では本来の自分が出せたように思います。
今でも感謝しています。
しかし、だからといって「家の事情」を話すことはできなかったのです。

明らかに、一般的ではありませんから。

当時の家での私の仕事、役割はこうでした。

・姉として大人しく、お利口にしていること(いつも平均点で、目立たず大人しく)
・時折、酔って喚き散らす母の相手をする(自殺する発言、手首を切ることもありました)
・学生として勉強する(漫画ばかりよんでました。ここは子供らしいですね。ははは。)

祖父は時折かんしゃくを起こし、理由なく怒鳴る人でした。
母は水商売をしていましたので、常にお酒とたばこのにおいがしていましたし、同業者や母の彼氏?といいう人たち、そして組の人たちなど、一般的ではない人がいつも出入りしている状況でした。
母の彼氏という人の中には、私に性的いたずらをした人もいました。
母はお金の使い方が下手で、地道に働いて生活を維持することが困難な様子で、段々に貧困となり、住む家も最悪になっていきました。
そんな中での母の名台詞「あなたたちが生まれるまでは、私は幸せだったのに」
母は、そんなこと言っていないと否定しますが、確かに言いました。
弟も証人です。人は都合の悪いことは忘れてしまうものです。

ただ、今は当時の切羽詰まった母の気持ちが理解できる年になったので、そこを責めることはありませんが、当時の私は「人は切羽詰まると我が子でも捨てる」という学習をしてしまいました。
この学習は子供を「愛情飢餓」に追いやり、「自己愛」の形成を阻害します。
そういった、いつ何が起こるかわからない、だれが何をしでかすかわからない状況、貧困の環境の中にいました。

母は、競争心の激しい人で「男にできて女にできないことがあるか!」「一番になりたいとは思わないのか!」とはやし立てましたが、「それもいいことだろうけど、、、ごめん、、、興味ないんだ」とそれは一蹴。
しかし、競争のないところで目立つと「まゆみちゃんは変でオカシナ子」といって笑うのです。
特に、私にとってアートの時間は大切でした。
唯一自分を表現できると思っているところがあり、絵を描くことに没頭していました。

小学4年生のころに出会った、いがらしゆみこ先生の漫画の描き方の本をきっかけに、描くことに目覚めます。
以来、人の心の中にある「白と黒」「光と闇」を表現したいと思うようになり、小学生にしては図工の時間に暗い作品を作ることが多かったのです。
光と闇の仮面を、当時好きだったエジプトの話に寄せて制作した時に、先生から「もっと子供らしい明るいものを作れませんか」といわれたことを覚えています。
国語の詩の時間では、情景たっぷりに比喩を交えて友情の詩を書いたりもしましたが、それを実際に隣にいる男子を好きなんだと勘違いされ、がっかりしたこともありました。
このような経験と、家庭でのストレスと相まって、「浮くことは良くないこと」という学習になり、「押し黙る」ことを決意させます。
小学6年生の時でした。

ある日、原因不明の内臓の痛みに見舞われ、1週間ほどのたうち回る苦しみを経験しました。
この時に、「もう何も頑張らない!」と決意したのを覚えています。
しかしそれは、自分らしく穏やかに生きることではなく、「諦める」という自分を生きることを放棄する選択でした。

しかし、このことは、今の仕事にヒントも与えています。
病院では収まらなかった激痛が、鍼灸師のハリ1本で治まったのです。
子供のころから薬草には興味を持っていた私でしたから、東洋医学の世界をより知りたいと思わせる経験になりました。

私のストレスのはけ口は、拒食から過食へと進み、みるみる身体は肥大化しました。

身体が大きい人は、ちょっと自分をからかうように「デブ」「ブタ」ということがあります。
しかしながら、傷ついてないわけではありません。
なりたくてなった人もいれば、なりたくないのに病気や心の問題でそうなることもあります。
確かに、自分を甘やかしたのでそういう体型になった場合には、「いわゆる甘ったれていじけた態度」が顕著となり、社会との摩擦をより多く感じることになるのだろうと、これまでの仕事の経験で感じています。
それゆえに、強い批判を受ける可能性も考えられます。
しかし、心理士は、どんな理由にせよ、その方の今の奥の奥にある、キラリと輝く「本来の自分」を見出し、信じることに徹します。

特に、幼少期に「自己否定」されて育ったゆえに、食べることでしか癒されない自分を形成された方には、こうこれ以上責めないでほしいと思うのですが、どうしても道徳的美意識に反する行為をするので、社会は容赦なく責める傾向にあります。
わざと美しくない振舞をするということも、食に異常をもたらしている方の、典型的な「表現方法」です。
これまでの、恨みつらみ、悲しみという感情の方が優位に立ち、上手に今の自分を伝えることに困難を感じるのです。
身体の肥大だけでなく、極端に病的に細いという傾向も同じです。
食の拒絶による表現です。(代謝が良い細身の体質の方は違います)

愛が欲しいと 食べ物に変わりを見出す
愛はいらぬと 不信感による受け入れ拒否

こういう心身バランスのとり方は、健全とはいいがたく、道徳や、個人の美意識、常識よりも、その人にとってそれは「健康なのか」という視点で見ると、色んな心理が見えてきて、解決方法を見いだます。

さて、そんな毎日が落ち着かない日々を過ごしていますと、眠りが浅くなります。
今でもそうですが、いつでも飛び起きれる体制で寝てしまうのです。
さらに、母の「気性」がより、いつでも行動できるような姿勢に変えていきます。

母はとても気性が激しいので、大きく仕事は成功してもすぐ人から裏切られてきました。
その度に他人に怒鳴る声を聞かねばならず、また、出たくない人の電話を出させられ「いない」とうそをつく、家族全員息をひそめて居留守を使うなど、人生を健やかに生きるの不要なスキルばかりが身についていきました。
要領よくうそを言ってその場を交わすスキルも、母の話術から学んだと思います。
ただ、その記憶は「絶対にそんな人間にはならない」という反面教師として強く心に刻まれました。

高校生になるころには、心身ともにボロボロになり不登校からの中退。
生活態度は、非常に自堕落になっており、ほぼ引きこもり状態でした。
親友だった子は、ついに「信用できない人とは付き合えない」と去っていきました。

理解できないのは当然ですし、話したくても状況を話せなかった。
話せば何か変わったかな?
そんなことを思いとてもつらい思いをしましたが、ふと「一人でかわいそうだったから友達になってあげようと思って」という始まりの言葉を思い出しました。

あぁ、お互いに試されたんだなー。

そう思うと、この別れを受け入れられました。
もちろん、自分の反省も理解した上でです。

「私は人を信用していない」

約束しても、ドタキャンしてしまう友達を知っているかもしれません。
その子が精神的に病んでいることも承知してるのでしたら、「約束」はしないようにして適度な距離感を持つようにしてください。
「行きたくてもいけない」「したいけどできない」は、「行きたくもしたくもないこと」の可能性が高いからです。
その子は、自分の本心で生きることと、周囲に合わせて偽ることの葛藤で憔悴しきっています。
悲しいですが、そこに友情があるのなら「自分らしくいきて!」と応援する気持ちをもって、距離を置いてください。
そうしないと、そのうち一般常識で「信用できない」とその子を裁き、嫌いになってしまうでしょう。
人を嫌いになる感情は自分を傷つけます。
嫌いになる前にできる行動があります。
その子に何も言う必要はありません。
何かしてあげようという気持ちは逆効果です。
心が不安定な人は気まぐれです。
急に向こうから現れてきたら、「今は良い気分なんだな」と、それを受け入れられるなら受け入れ、無理なら離れましょう。


さてさて、さらに環境は変わり、家族は母の人間関係のもつれで夜逃げします。
どこへいこうかと、私は思いつくまま「父の故郷へ」というと、そのままその流れであっという間に父の故郷へ移動して新生活がスタートしました。

私は父の故郷で3年間「ひきこもり」ます。

さらに私の身体は肥大化し、80kg近くにまでなっていました。
昼頃起きてご飯食べ、タバコ吸って寝る。
夕方起きてギターを弾き、夜ご飯食べて、漫画を深夜まで描き続ける。
朝5時に一服して就寝。

ひきこもりはパワーがいります。
葛藤したまま止まっているのですから。
思考を止めて、ただ何も考えなくていいことに没頭していました。

相変わらず、母の好戦的な生き方はトラブルを持ちこみ、母が再婚した相手はアルコール中毒で、彼もよくトラブルを持ち込みました。

復讐としてのひきこもり

と、私は名付けました。
「どいつもこいつもろくでもない!母のせいで私はこんなに不幸だ!一生面倒見てもらうからな!」
そんな気持ちだったのでしょう。

ひきこもっている当時は、そんな冷静な感情分析などできませんので、

「母の犠牲になっているが、その犠牲は母のためになるのだ」

という「洗脳」「DV」「共依存」あるあるに陥っていました。

しかし、ある強烈な体験をしてから私は目覚めます。


Ⅲに続く
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