薬草魔女になるまでの道のり


Ⅲ.16歳~18歳までの薬草魔女Maya


さてはて、16歳から19歳まで実にひきこもり倒しました。
当時は、ひきこもりとは言われず「引っ込み思案が原因で社会に適応できない」という見られ方をしていました。

学校では息をひそめ、大人しく生きており「引っ込み思案だが態度は良し」という評価でしたので、ただ単に怖がって社会に入るのを怠けていると、家族からも周囲からも判断されたようです。

これが今の時代では「ひきこもり」「うつ病」となるわけです。
この極度の緊張状態と抑圧による「うつ」症状は、さてはていつからであったかと、思い起こしてみますと、やはり小学生になってからであろうと、個人的に見立てを立てています。

ですが、周囲は私の隠された内面をしりませんので、環境が変わったことで、学校にも行かず引きこもったので鬱のように暗くなったと見えたようです。
このため、家族は私のひきこもりを問題としませんでした。
あれだけ自堕落な生活をして見せても、「やればできる子」と母は言っていました。
自分も引っ込み思案だったから、あなたもきっと大丈夫と言うのです。
これは、楽観的という意味ではなく、今でいう「放棄」です。
ネグレクトですね。

切羽詰まった環境にいる家庭、特に親のメンタルに問題のある家庭は、現実を直視できないことがほとんどです。
人は自分にできそうにない問題に直面すると、さもそれは無いかのように振舞うことがあります。
防衛という心理が働いているのです。
そして、今を生きるのに必死な分、盲点だらけになっています。
答えは、自分の範囲外にあるかもしれないのですが、今しか見えず途方にくれ、ついに放棄するということを繰り返します。
そして、親子ともども「何をやってもうまくいかない」ループにはまるのです。
また、互いに自分を責めあっている割に何もしないことも多く見られます。

次に多いのが「過干渉」です。
親の絶対的価値観でもって、子供を強制しようとあれこれする行為がすべて、その子供に「困った子供」「お前は何をやってもだめだ」というメッセージを刷り込んでいきます。

上手に手放して見守るということが理想的なのですが、どちらの場合もそれが難しく感じるようです。
なぜならば、深層ではどちらの場合も、「自分」の思い通りになってほしいと思っているからです。
自分の思い通りなならないと、ないものとした扱って現実を見ない。
もしくは、強制的に変えようとする。

母は、楽観的に見せかけて現実を見ないことに加え、自分の自信のなさを「子供よりできる母」を演ずることで自己肯定感を保っているところがありました。
ですので、母にとっては私がひきこもることは好都合だったでしょう。
そして、私も母のその態度は「利用」できるものでした。
もちろん、当時の私はそこまで自分の深層心理に気づいていません。

「母はすごい人で何でもできる、それなのに私は何をやっても普通でだめだ、人も怖くて会えないし、このまま社会に出られないのではないだろうか」

そんな葛藤の中で、「生きても死んでもいない」日々を過ごしていました。
この3年間の間にしっかりとした「共依存」のパターンが出来上がったのです。

現実から目をそらす行為は、実はとても意識している事を表現しており、無意識での葛藤がストレスとなり精神を蝕んできます。
母は、現実に圧倒され、それでも逃げたい気持ちとの闘いで、ついに「崩壊」します。


急に「うー、うー」とうめきだし、まず犬になりました。
子供のころに買っていた犬だというのです。
「お前らに捨てられた」恨みを苦しみながら話してきます。

犬、日本語しゃべるんだ。。。捨てたっけ?

そのことはひとまず置いておきましょう。
その時の私たちは、豹変した母におびえ、そのヘンテコに気付くことができませんでした。

次いで、病気で死んだ飼い猫が出てきます。
「うー、うー、苦しい。なんで捨てたんだ!苦しい!!うー!うー!」

猫、日本語しゃべるんだ。。。捨てたっけ?

さらに色々な人間や動物が出てきて、とにかく恨み言を言うのです。
これを、神霊の世界では「憑依」といいます。

日本語しゃべるんだ。。。翻訳?なんだろう、魂だからわかるのかな???
はい、正直この場合は、憑依とは言わないというのが、心理士の私の考えです。

これまで生きてきた人生の中での、「数々の罪悪感」がこのようなトランス状態での表現をとり、苦しみを昇華させていようとしているという風に考え、とにかく聴くに徹します。
話すだけ話したら、必ず戻ってきます。

話す様子がずっとおかしい場合、精神病が考えられますが、その場合にはほとんどの場合において「被害妄想」が見られ、「覚醒した状態で、ありえない妄想を信じきって」発言してきます。
そして、絶対に自分が病気であることを認めない場合がほとんどです。

憑依の場合ですが、動物の場合は100%心身を明け渡しても言語は話しません。
生前の動物の情報と完全にシンクロすれば、日本語など話せるはずもありません。
これまで非言語の世界にいた動物が、いきなり言語の部分を使えるとは思えません。
シンクロを30%ほどにしますと、雰囲気を色で感じたり、思い出を思い出すように情景が浮かんできます。
それを翻訳してお伝えします。
つまり、動物にせよ、人間にせよ、こちらの意識がある状態での翻訳は、どうしても翻訳者の主観が入るのです。
人間の場合は、完全憑依でも怪しいものです。
生前の人と同じ脳の思考ルートをもちわせていないのですから。
ヒーラーなどの精神世界を扱う人間は、その点を心得ているべきです。

今の私でしたら対処も容易かったでしょうが、当時の私はこれを「憑依」だと思い、困り果てている弟と、義父(アル中の人です)に、お祓いをできるところを探すよう指示を出します。
様々な宗教へ連絡を取った結果、ほぼすべての回答が「病院に連れて行っては?」でした。

父方の祖母は「お大師さん」を愛し、毎日熱心にお経をあげる人でした。
母のいとこは、真言密教の僧侶であり、母が憑依体質だと言って、時折心の魔を払うことをしてくれていました。
月に1回ほど我が家に泊まりに来る時期もあり、読んだ方が良い経典、般若心経のわかりやすい本を教えてくれたことで、仏教への関心が高まりました。
もうそのお坊様のおじさんは亡くなっており、当然にどこの宗派もできるものだと思い連絡してみると、冷たい対応に撃沈。
不勉強でした。

それ、あったまおかしーくなったんだよ!

といわれたようで、とてもショックでしたがが、それでも神仏はいるとその時には思っていましたので、心の中で強く願い求め祈りました。

「しかし何も起こらなかった」

有名なRPGゲームの風景がそこにありました。
そして、「困ったときだけの、都合の良い神様はいない」ことを悟ったのでした。

不思議なことが最後に起こります。
あんなに恨みつらみしか、うめきながら言わなかったのに、急に静かになり、目を開いて私を見つめ、

「まゆみー、まゆみかー。。。(じっと見つめ)そうかー。」

と話しかけてきました。
すぐに父だとわかりました。

「おとうさん?」

と言うと、父はスッと消え、母はやっと楽になり、目に輝きが戻り、「よくわからないけど苦しかったことは覚えてる」と言っていました。

急な父の出現に、私は涙が止まらなくなってしまい、その夜は家族全員で泣き明かしたのでした。
さてはて、これがいわゆるアレなのか、それともやはり母の何らかの私への感情なのかはわからないままですし、私は分からないままにしたいと思っています。

なぜなら、父と話せたと思って心が安らかになれたからです。

信仰とは不思議なものです。
あるかないかわからないものが、時に人を救うのですから。


このような強烈な経験を経て、私はようやく「このままではいかん!」と自分を取り戻すことを決意したのでした。


Ⅳ.に続く
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