薬草魔女になるまでの道のり


Ⅳ.18歳~22歳までの薬草魔女Maya
強烈な体験から、1年ほどは成長はゆっくりでした。
18歳の時に、ようやく建設会社の事務のバイトに就け、1年経つ頃には休むことなく通勤できるようにまではなりました。
そこの代表は出張が多く、事務所はいつも私一人でした。
する仕事は、掃除・伝票処理・電話対応を基本に、月末月始は見積・請求・外注費の計算等でバタバタするというルーチンなものでした。
誰もいないということと、毎日原付で蓮の花畑を通れることが楽しみで、ストレスもなく続けられました。
TVは見放題で、この時に宝塚にはまりました。
早々にその日の仕事を終えると、同人誌も書いていました。
社会復帰するのにとても良いリハビリとなり、今でも良い思い出として残っています。
まぁ、代表のだらしない部分に、若者によくある不満も感じましたが、今となっては、本当に良い機会を与えてくださったと感謝でいっぱいです。

少し自信がついてきたところで、何をやってもだめな性格と人への恐怖を改めたいという想いが強くなってきました。
当時の私はどうしても神様に頼りたい気持ちがあり、心理療法ではなく宗教に助けを求め、クリスチャンになりました。

あっという間に聖書のほぼすべてを網羅し、聖書から論じ、すべての時間を神様にささげたいとさえ思うようになっていました。
朝祈り、食事にも祈り、寝る前も祈る。
祈りは神様との会話の時間です。
その祈りの習慣は、アファメーションという自分への宣言として今も残っています。
兄弟!姉妹!ブラザー&シスター! そして、私の神! 懐かしい響きです。
今ではその兄弟姉妹は、一部のクリスチャンが忌み嫌う魔女たちです。
面白いですね。
そして、魔女たちの神は自然の法則です。
そこに崇拝はなく、上下もなく、みな仲間です。

神様に人生の指針を決めてもらうという、この楽々システムは、最初の内は、そもそも忘れていた社会性を取り戻させ、規律正しい生き方を心地よく感じるようにさせてくれました。
そして、正しい振舞いは、信頼となり、その信頼は絆となるのだと知りました。
家庭では学べなかったことです。
独りで通勤し、一人で買い物し、見知らぬ人と会話もできるようになりました。
ですので、このクリスチャン生活は半分はいい思い出です。
残りの半分は、その楽々システムである神の言葉が私を苦しめました。

メタル音楽は悪魔のもの

ありえへーん。ありえへん。

メタル音楽の流行により、悪魔のものなので聴かない様にと強く言われるようになったのです。
昔からロックやハードロックなどについても言われており、この頃はメタリカなど、今となってはメタルを代表する神様的存在のバンドたちが出てきていたために、これでもかと強く言われ続けていました。

私の趣味はエレキギターです。
規律でもなく、強制はされていませんが、「神に仕えるものとしてふさわしくない」ことは歌詞や風貌を見れば明らかです。
それで、汚らしい歌詞の曲は避けるという形でギターは時折弾いていたのですが、とても神を裏切っているようでどんどん気持ちが沈んでいくのです。

葛藤が生じます。
神を捨てるかメタルを捨てるかと!

私はメタルを捨てました。

これが洗脳です。

14歳の時に、どうしようもなくつらかった私を救ってくれた人たち「X」
あえて「XJapan」ではなく、「X」と書きます。
私の中では、あの時から時が止まっている。
彼らはメタルではないけれど、メタル音楽と同じくらい好きで大切な存在でした。

私のすべてだった人たちと、メタルを否定した私は「うつ病」へと突き進みます。

神様の言うとおりに生きることは、ある一定の「安心と安定」を与えてはくれますが、自分の気持ちを抑圧することによる「不安定」さも伴います。
そして目に見えない神の存在を信じるということは、いつしか「監視」のようになり、キチンと神様の言うとおりにできているかどうかという恐怖を生みます。
日々、あれもだめこれもだめと自分に鞭を打つのです。
こうなるととても幸せとはいいがたいのですが、本人は「幸せである」と思い込んでしまうのです。
「これでいいんだ、こうすれば神が喜ぶ。神の喜びは私の喜びなのだから」「ダメな私を神がいつも指導して下さる」と本心をすり替え、抑圧するのです。


この頃には、私の仕事は事務の他にもバイトを2つ掛け持ちしていました。
朝3時に起床して新聞配達、その後運輸会社の仕分けの仕事、次いで事務を17時まで。
17時以降は、集会の時間もありましたし、集会の予習をするために聖書の勉強をしていました。
また、ダイエットも試み、空き時間には筋トレを行い、食事制限もストイックにおこなっていました。
24㎏程のダイエットに成功することで、ますますストイックになっていきます。

「私はダメな人間なんだからまだまだ厳しくしないといけない!」

久しぶりの拒食さん、こんにちはです。
重度の貧血で毎日点滴の生活となっていました。

前回の話の「共依存」を脱すべく、自立したいと仕事を増やしたのですが、精神的に優位に立ちたい母にとってそれは都合が悪くなり、母が病気がちになり働けなくなります。
立場の逆転です。(共依存あるあるです)

母を支えられる人間になった!という快感は「それは神を信じたからだ」という結論に導き、ますます熱心なクリスチャンになっていきます。
母にも厳しく説教するようになっていました。

あまりにも感情の起伏が激しいことを心配して、母の勧めにより病院へ行き「うつ病」と診断されます。
強い薬を出され、眠くて動くこともできず、まただらしない自分になるのかと思うと、気持ちは荒れました。
クリスチャンにふさわしくないとわかってはいても、言葉で母につらく当たりました。

そして、あまりに豹変した私を受け入れきれず、母は家を出ます。
突然に。
信じられない額の借金を残したまま。(消えた後に判明)

2回目です。
1回目は中学生の頃に、当時付き合っていた男性とすべて捨ててどこかへ行こうとして、やっぱり子供が大事と戻ってきました。
今回も、知り合った男性と恋仲になり、その男性と消えてしまいました。(今の義父です)
アル中の義父とは、その後離婚しており、彼はお酒漬けの生活の中で孤独死を遂げました。

またかー。

悲しみと怒りで、私の体は生命に危機を及ぼすほどのストレスフル状態となり、強制シャットダウンしてしまいました。

朝起きようとしても、起きれないのです。
何をしても無気力で何の感情もわきません。

そうです、うつ病の典型的な症状です。

半ひきこもりとして、なんとかしがみついて生活していました。
神様が見ているからです。

ガリガリのまま、何の喜びもなくこのまま死ぬかもしれない。。。

そう思って夜に灯る小さな豆電球を見つめて一人泣くこともありました。
過食期になると、その抑えきれない食欲は、冷蔵庫のものをすべて食べつくし、泣きながらケーキをワンホールむさぼるのです。
むさぼった後は、吐いて下剤を飲みます。

こうすれば、何もなかったことになる気がしていました。
食べて出すスッキリ感によってバランスをとっていたのだと思います。

ある日連絡が入ります。
近くに住むから、家財道具を引き取りたいという内容でした。
どの面下げて状態ですが、彼女の言い分は「今まで育ててあげたから、もう私は幸せになってもいいでしょう」ということでした。
とっとと渡してしまいました。
その後は、自分がしたことを忘れたかのように振舞ってきましたので、いつしか怒りは薄れていきました。

22歳に、父方の祖母の相続の話が来ます。
その時の母の豹変ぶりは、私の豹変した時と同じほどにショッキングでした。
お金というのは人を変えます。
母に権利はありませんが、「育ててやっただろう」ということで、半分の権利を主張してきました。
かつて自分が追い込みをかけられたのと同じことをしていることに、彼女は気づいていません。
私は気を強く持ち、弟とよく相談して、まずは借金の返済に充て、残りは三等分することにしました。
この時に、九州に帰ろうという話がまとまり、一家はまた宮崎に戻ります。
その後、母は言葉巧みに私の分に手を出し、ほとんどを短期間に使ってしまいます。
危機を感じた私は残りのお金で車の免許を取りました。

その後も精神面での不安定はつきまとい、生活は神から離れたものの月日と共に自分を取り戻して、仕事も見つけ、家も借りました。
その家には、男性も一人。。。


Ⅴに続く
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