薬草魔女になるまでの道のり


Ⅴ.23歳~29歳までの薬草魔女Maya
その男性は、元夫です。
いきなり同棲から始まった2人。
独りで生きる気満々でしたが、私の説明が甘かったのと、少し頼ろうとしていたことも言葉に出ていたのかもしれません。

満を持して、彼はゲーム機1つだけ持って家にやってきました。

後から聞いた話ですが、彼は、私に付き合ってくださいと告白する時に、もう私との結婚を決めており、それで、満を持してやってきたのです。
一般的に、男のお前が家を用意しろー!という突込みが入りそうですが、彼は自信満々にやってきました。
彼にも彼の事情がありましたし、私は特にそういうことはこだわらないので、自然に受け入れられました。

とても楽しい1年間でした。その後結婚。
私は幸せになれるのだと、ようやく人並みに生きれるのだと確信していました。

確かにその時も色々と母は問題を起こしました。
問題に巻き込まれ、過度のストレスにより、顔面が変形するほどの帯状疱疹が右のほほから顎にかけて発生し、耐えがたい激痛を経験もしました。
けれど、前夫がいてくれたので乗り越えられました。

この時の激痛により、内側にためる怒りと悲しみのエネルギーは、小学生の頃に経験した激痛と同じように、自分自身を攻撃するのだということを、学びました。
ここから、本格的な心身の健康について、また心理学や精神世界の研究が始まります。
心理についてのベースは、子供のころから持っていました。
ただ、基礎的な事柄にとどまり、どちらかというと神秘的な世界への興味が強く、仏教に傾倒していました。


元夫の話はここまでとしたいと思います。
また、その後の結婚家庭の話は、彼と子供たちのプライベートを尊重し、控えます。


結婚生活の中での私の心理状態だけお伝えします。

結婚から離婚までの間に楽しいことがなかったとは言いません。
2人の生活、子を産む喜びなど多くの素晴らしい経験をしました。
しかし、 そんな中幸せのはずの生活の中にあるにもかかわらず、私は、どんどん精神的におかしくなっていきます。
そして、心療内科の門をたたき、再び「うつ病」と診断されます。
最終的に「躁うつ病」ということになりました。

なぜそうなったお思われますか?
では説明したいと思います。


家庭生活の中での私の態度は、これまで見てきた母に生き写しでした。
私は、夫や子供への接し方について、母のモデルしか持ち合わせていなかったのです。
もちろん、反面教師としている部分もありましたが、それ以上に無意識は働くものです。
生きる場面での「問題解決方法」「判断の仕方」という思考のパターンというものは、これまで培われた経験が作り出しています。
特に子供のころの経験は、「後天的性格」の基礎を創ります。
その後、慣れ親しんだ考え方は日々強化されていきます。
これまでの経験は、いかに独りを生き、いかに不幸になっていくかという方法しか学んでいません。
今まで経験したことのない「幸せな家庭」の中で、「幸せな方法」を見出せるわけもなく、私は混乱に陥りました。

根底に「私はいつも独り」「私は不幸」という信念が、たっぷりと刷り込まれており、独りと不幸に戻る行動をとろうとするのです。

こういった根深い信念は、短期間で解決できるものではありません。
一気に変えようとすると、その反動で大きく揺れ戻ります。
ダイエットのリバウンドに似ていますね。
私の場合は、こういった極端を繰り返していき、うつ病から躁うつ病となったのであろうと推測できます。

私は、様々な思考を巡らし、自己吟味した後に、「家族との距離を持ち、自分を整える時間が欲しい」と夫に願い出ました。

離婚したい、離れたい、距離を持ちたい、別れたい

ストレートに言ったかもしれません。
どんな言い方をしたのか忘れてしまいましたが、伝えた内容は上記の「」の事柄です。

一緒にいながら変わることもできたでしょう。
私の過去を話すと、大抵の方はそういう感想を言います。
元夫も、私の非情な裏切りの繰り返しにもかかわらず、離れたいという私に、忍耐強く「一緒に」と言ってくれました。

にわかに心理の知識を得ていた私は、夫との「共依存」関係ができてしまった以上は、切り離すことが何よりの解決策だと考えました。

また、治療しながら徐々に変わっていくその間というのは、子供たちに母と同じ姿を見せることとなり、その苦しみを経験させたくない!と強く強く思ったのです。
その影響力は辛く苦しく破壊的で、母と離れたという悲しみの経験以上に、子供たちの人生に影響すると考えたのです。

また、母と同じことをしている自分にとてもショックで、情けなく、、、。

私は自殺未遂を、だれに知られることもないまま3回ほど行っています。
人というのは、「未練と思い残しがあればあるほど」手加減するのです。
死にたいと本気で思っていても、どこか手加減している。
本気で死にたいほど本気で生きていないのですから当然です。

ここまで人間として最低になり下がってもまだ、生きたいと手を抜き、未遂で終わる情けなさ。

夫のことも、子供のことも考えられず、己だけが情けないとただ嘆き、その割に何一つしていない、「生きることも死ぬことのしない私」に決着をつけました。

夫を説得し、私は新天地に旅立ちました。

当初は別居という話で、彼は私を応援するように送り出してくれましたが、後に彼の家族の意向により、離婚届を出しました。


今現在、離婚後の元夫と子供たちの様子を風の便りで聞き状況を知り、そして、離婚後の自分のやり直し人生の結果から、「離れる」という行動と、その後元夫とのやり取りを一切断ったこの道で良かったと確信しています。


Ⅵに続く
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