薬草魔女になるまでの道のり


Ⅵ.29歳~35歳までの薬草魔女Maya

新しい生活は、今の夫の家からスタートします。
前の夫と今の夫とはキチンと話をしており、前夫も合意の上でのスタートです。

ずっといろんなことに相談乗ってくれていた彼が、なぜ何の関係もない、しかもこんな問題だらけの私をスッと引き受けたのか、彼は今もはぐらかして話してくれません。

その時の私は、まったく誰の気持ちも考えられない状況でしたから、ありがたいとか感謝の気持ちもなく、住まいを提供してもらえ「ラッキー」ぐらいに思っていました。

人間として落ちるところまで落ちていたピークです。

そんな失礼な態度は見え見えだったでしょうに、夫は何も言わず、ただ楽しい毎日を提供してくれたのです。

3か月で100万使い切って豪遊しました。

今でも我が家の伝説です。
その中で彼から「好きになったみたい」と告白されます。
彼は、そんなこと言ったっけ?と、今もとぼけますが。。。
その後彼は何一つ文句を言わず、私を養うために職を見つけはじめます。

彼の職探しの期間中、私はまた自分に自信を無くし不安定になります。
依存は、家の中で一番エネルギーの強いものに頼り、その人と一緒に行動することで「とりあえずの安定」得るわけですが、その強い者が仕事や自分以外のことに集中して離れようとすると、急にメンタルが不安定になります。

私の場合は、過去のことをネチネチと後悔していると話し、泣きじゃくり、彼の心を引き付けるという手口でした。
これが「もろとも不幸になる」行動パターンです。
本来の思考であれば、彼が働きに出て生活費を得ることで、生活は安定し、その中で2人でレジャーを楽しむことが「2人にとって幸せ」と言える関係であると結論付けられるのですが、そこまで考えが及びません。

それに、彼は当時は夫でもなんでもなく、恋人という同居人です。
経済的に頼ることは筋違いです。
どの面下げてと、母の話で書きましたが、この時の自分にもぴったりの言葉です。

単なる同居人が養うと、社会復帰までのサポートの手を差し伸べてくれているのに、私はそれはさも当然かのように振舞い、かつ精神が不安定なのを何とかしてくれとすがっているのです。

ある日、私はいつになく不安定になり、まるでゴジラのように泣き叫び始めます。

まず彼は、泣きじゃくる私を、しっかりと抱きしめて、泣き止むまで背中をさすっってくれました。
そして一言、

「君は、誰かのために生きたいと思ったことはないのですか」

そう悲しそうな目で私を見つめて語り掛けた時、彼が私のために生きると決めてくれたことを悟りました。

「この人のために生きよう」

私は心の中で決めました。
人生の中で初めてそのような気持ちになりました。
夫は、幸せに生きる思考を教えてくれた初めての人でした。

それに応えるために、私は数日間今後の人生の計画を建てます。

そして夫に、この経験はきっと誰かの役に立つことが来ると思うから、心のスペシャリストである「心理士」になりたいと、心のケアの道を進むことを宣言します。
夫は「頑張ってください」と励ましてくれました。

薬草魔女の道のスタートです!


当時の計画は「臨床心理士」になることでした。
大学院にて臨床心理を専攻し、その後試験を受けることで獲得できる資格です。
まず、高校中退の私には、まず高校卒業程度認定試験を受ける必要がありました。
1年で合格を目指し、久しぶりに猛勉強をしました。
どうしても英語が苦手で1回落ちてしまいましたが、1年以内に合格の目標は達成し、その勢いで一気に、臨床心理コースのある通信制大学を受験します。
通信制ですから生涯学習目的の社会人も多く、合格ラインはゆるいとはいえ、これまで社会と接してこなかった私の文章は小学生なみです。
届いたのは、合格通知でした。

この私が大学生!!
なんて進歩!

とても楽しい大学生活でした。
入学費用は夫に頼りましたが、それ以降は、バイトをして自分で費用を払いました。
生活費は彼に甘えさせてもらい、それ以外は「誠意」だと自分にできることをする意思を行動で示すようにしました。
それも彼が教えてくれました。

「できることから、1つ1つ、ゆっくりと」

今でも、我が家の魔法のスペルです。

まだまだ、ガティブな思考は付きまとってはいましたが、これまでにない成長ができた時期です。
私は、これまでこうした方がいいと思っていた、心のアプローチに関して、大学生活の中で「このやり方でいいのだ!」という確信を強め、もっと多くの知識と、多くのつかえる道具を探し始めます。
ある日、心のケアに仕える道具を探している時に、「ハーブ療法」の体験会を見つけ出かけます。

私の中で薬草は子供のころからの友達です。
忘れていました。
子供の頃、辛くて苦しい気持ちを救ってくれたのは、公園に咲く一面の草花のじゅうたんだったことを。
そして、じゅうたんに寝ころび、空を見上げ、いつまでもこのままなら幸せならと空想の羽を広げた日々。

アトピーが悪化した時にドクダミに救われた私。
心辛い時、木々たちを感じては、木の唄を書き綴る私。
夢中で植物採集をしている私。
素敵な茶器で頂く、一杯の紅茶がこんなにも心幸せにするなんてと感動している私!

参加した体験会で、植物に対する愛が一気に戻ってきました!


見つけた!これが私の道!これが私のやり方だ!


その場で「ハーブセラピスト」コースを申込み、その年にはハーブ療法を伴ったカウンセリングを行うというスタイルで活動し始めます。
これまでの経験が、どう心理療法を実践したらいいかの基礎を作ってくれていたために、在学中に「ハーブ療法と心理ケアを組み合わせた自分のスタイル」で「心理士」として活動したいという思いがあふれていました。

まずは「ハーブカウンセリング」という心身のアドバイザーとして、たくさんの方の心に触れようと活動を開始します。
まだお金はとれません。
頂いても材料費、部屋代くらいのものです。

ハーブの知識に関しては自信がありました。
これまでの薬草の知識がありましたので、資格取得の時に学んだ新しいことと組み合わせていかようにも提案ができます。
これまで経験した病気が、身体の仕組みにも詳しくさせ、体の構造からも話ができました。

カラーセラピーの資格も取得したあたりから、仕事としての「心理ケア」が見えてきて、いろんなイベントで対価についてと、セラピー業界での現状を学び、さらに自分のスタイルと経験が積まれていきました。

そんな日々を過ごす中で、「氣」の存在に気づきます。

ハーブに触れる生活の中で、私の感性は研ぎ澄まされ、思い出しかけていたのです。
子供の頃に、なにやら感じていた自分を。

そこで、エネルギーワークという言葉を知ります。
知人を介して「レイキ」の師匠に弟子入りし、レイキマスターになりました。
最初にレイキを習いたいと相談に伺ったときに試験されました。

「何のために氣を使いたいの?」
「ハーブをきれいにすることと、これまでの生き方を改め誰かの役に立つこをとしたい」

素直に自分の気持ちを伝えました。

「合格」

うちの師匠は、しっかりと氣を使えない人間には伝授しません。
マスターコースも狭き門です。
そして、スパルタです。
超怖い。ほんと怖い。

「また、それた。。。何もつかめていない。。。」

トリガーポイントがそれてるよ指摘がすごく怖い。
あーこわい。


レイキは呼吸法が大切です。
呼吸を整え氣を巡らせることで「自分らしさ」が輝いていくのです。

レイキの伝授により、私はついに感じる力が完全にもどりました。
今まで感じていた不思議な現象の答え合わせを行い、なんでそうなるのか、なぜそれが起きるのかを、心理も交えながら説明できるようにまとめはじめます。

子供のころから見えていたアレ。
いつの間にか忘れていたアレ。
そうアレ。

私は、このアレ。を心のケアに使おうと決めました。

(安易にあるのかないのかわからない世界を「あります」と公に言うことによる影響を考えまして、私は公に語ることを控える立場をとっています。ここでは「アレ」という表現にさせていただきます)

アレ。と共に、自分の色の共感覚も戻ってきました。

その時にできたのが、オーラ茶と色彩ハーブセラピーです。
薬草魔女と名乗り始めたのも確かこのころからです。
あれ、もっと前だったかな???(えー)

ここで、「占い」という思っても見なかった世界が見えてきます。
母が散々、胡散臭い素人の霊感持ちの人間に騙されてきたことと、宗教の妄信の経験が「占い」の世界に異常な警戒心を抱かせていました。

しかし、感性を取り戻すころには、自分の不思議な感覚を現象として説明できるようになっており、占いの仕組みも説明できれば「心理療法」として使えるかもしれないと考え始めます。
子供の頃に占いや神秘の世界で、想像を膨らませたことも思い出します。

思ったら吉日と行動力が生まれていた私は、独学でタロットと数秘術を学び取り、手相も学びました。
数秘は心理学に通ずる読みをしますので、私には理解がとても簡単だったのです。
参考にした本の著者の講座にて情報を捕捉し、独自のカウンセリングシートを作り、占い師として活動し始めます。
手相も、その怪しい自称霊能者たちが私に自然と知識をくれていました。
タロットも、子供の頃の現実逃避の「空想」が絵物語を読むように、すぐにインスピレーションが走り、結果を導き出すことを簡単にしてくれていました。
ですので、捕捉を学ぶだけで、すぐに動き出すことができました。

この占い師としての活動は、占いが悪いのではなく、感じることが悪いのではなく、その道具をどのように使うかという動機が大切なのだと理解した私は、「人間としての姿勢」を大切にした「陰陽数秘学」を完成させます。
これが発展し、今の心理占術となりました。

このころには、薬草魔女Maya独自のスタイルによる「心理カウンセリング」のクライアントも増えており、大学も卒業目前、会社にする目標が芽生えてきます。

ここで私は「臨床心理士」から「現代薬草魔女」の教育と普及という方向に進路を変え、心理療法士としても独自のスタイルを貫くことを決心します。

お気づきかもしれませんが、大学の話辺りからネガティブな状態や出来事が出てきていません。

人は心で決めて、自分の意志で「生きたいように生きている」時には、何の苦痛も感じないのです。

大学生活以降も、確かに色々ありました。
苦痛がないわけではありません。
精神も今ほど安定してはいませんでした、今でもその傾向はあるのです。
そうは見えないかと思います。

自分を生きるということは、問題への対処法を容易にします。

ですので、思い出が楽しいことしか先に出てきません。


これら経験を生かし切り、今現在私は「薬草魔女」としての道を歩んでいます。


未来の道はもう見えています。



おっしまい♪




(おわりに)
今回自分史を綴るにあたり、薬草魔女としての自分を、いわゆる過去世の記憶としてお話しすることもできたかもしれませんが、私のポリシーは「過去より今、今より未来」です。
過去私は何者かであったかもしれませんが、それよりも何よりも今の自分としての体感や経験が大切です。
その過去が私に何らかのメッセージをくれたとしても、「リーダーは今の私」です。
多くの過去世を信じる方が、過去を中心に据えてしまい過去を生きていることを多く見受けます。
そうしますと、今の自分に発展はなく、ただ過去を再現するだけとなります。
もし、過去世というものがあるならば、現世の私使命は「進歩・発展」させることです。

それですので「現代薬草魔女」をお伝えしているのです。

精神世界といった、あるのかないのかわからない世界については、対面カウンセリングや講座での1対1の空間で、それぞれの信条に合わせて、理屈の伴った情報としてお伝えしています。


最後までお読みいただき、ありがとうございました^^

                           薬草魔女Maya
© 2010 薬草魔女の自然養生研究所 Trebol