共に生きるとは

2025-08-05

『その時々に役割を変えながら長く付き合っていく
共に共通の目的のために生きていく

互いに寄り添うことはあっても
寄りかかって依存や支配関係になることを望まない』

私はパートナーについてこのように考えています。
我々は人生の時々で役割を変えてやってきました。

同居人から恋人同士へ
恋人同士から夫婦へ
以後は夫婦と父母を行ったり来たり

そしてどの時も常に素晴らしいビジネスパートナー!

しかし、今後を生きる上で我々に必要なのは 同居人 に戻ることでした。

同居人はパートナーという関係の前の段階だと私は思っています。
長い間パートナーとして生きてきたからこそ、同居人のような意識で互いに接することの必要性を感じました。
これは夫婦間の「協力となれ合いの区別があいまいになっている」ことに気づいた私からの提案でした。

多くの方の恋愛結婚観は私たちの様ではないと思われます。
ゆえにこの決断に驚くだろうとわかっていて、予告なく経緯の説明もなくSNSにてパートナー解消を報告しました。

ほとんどの方がショックではあるが、私たちの考え方を理解していると伝えてくれました。
ありがとうございます。
私が幼い頃は「これはこうである」「こうあるべき」という強い押しつけが多くの人の生き方を苦しめてきましたが、個を認める時代に変わったと実感できました。

人は自分にない価値を受け入れられない時に「責める」ことで自己正当化を図ろうとします。
これは、社会が一定の型にはめられておりその型から外れると生きていけないという刷り込みから来る反応です。

『もう自己正当化のために誰かを責めることはしなくていい』

そういう社会になってきていると思いますしそうなることを今後も願います。
自分らしくない型にはまって死んだように生きるくらいなら、だれかが「普通は」「一般的には」といってくる人々は気にせずに堂々と「自分であって」下さい。

それが自然であるならば自然に振る舞って下さい。

頑張ったり無理をすることは自己正当化と同じ心理です。
素直な自分のままで安心していいという思いでいてください。


一般的に関係性の証拠として「婚姻(結婚)」という形でパートナーであることを社会に示しますが、我々は必要ないと感じています。

結婚したとしても、パートナーとの役割は時期により変わっていくものだと思っています。
この「役割を意識してそれを自覚している」ことが大切であり、結婚を社会に示したとしても役割を果たしていなければそれは意味がないという考え方です。

恋人同士も同じと考えます。
不安から焦って関係性の明確化を求めたとしても、役割に気づかなければ長続きしません。
一方的に求めるばかりで寄りかかっていることは相手を愛していると言えないと私は考えています。
恋愛期間は相手を知り、その上でどういう思いやりを届けるのかを試行錯誤する期間だと思っています。
関係性のはっきりしない時間が、相手を知り自分を知ってもらう大切な時間となる。
他人なようで近いようでという絶妙な距離感が依存のない関係性を育み共に生きていくための役割に気づかせる。

これからを生きる若者には『自立した考えを持った二人だから共に生きていける』という考えで恋愛結婚を考えて欲しいと願っています。