📝[日記]変わり目のサイン

現状より進歩を求めて目標を掲げる時には、今のままのやり方では変化はない。

緩やかに上っていくも良し、最短コースで勢いよく行くも良しだが、どちらにせよその歩む最中にこれまでのやり方が誘惑してくる。

慣れた方が居心地いいぞ。変化を望む環境の方が居心地がよく、未来を創造するだけで明るいきもちになるにもかかわらず、これまでは必要だったが今後は不要な常識の罠にかかり迷い悩む時期がある。
それすら学びでよいのだが、あまりに長いこともたもたしていると、

いい加減動け!

と、まるで自分のハイヤーセルフ(未来の自己)が背中押すような出来事が起きる。
人生の変わり目に起きる現象があると感じている方は多いように感じていますが、私にもあります。

こんなところにいてはいけない
こんなことしていてはいけない

と思わせるような人や出来事が多発します。

自分の人生の価値観が変わり、これまでの価値観をもった人や場所と合わなくなってくるということは、多くの方が経験されていると思います。

今まではそれでうまくいっていましたので、一瞬、自分が悪いのか?と心暗くなりますが、決めた目標の基準で考えると心が軽くなる。
こういう時は、「古いやり方は捨てよ」というサインだと、これまでの経験から確信しています。

人との別れがあるかもしれないし
経済の不安を感じる決断をしなければならないかもしれない

新しいを経験しそれをモノにするには、努力もいるだろうし、なにせ怖い。とても怖い。勇気が必要だ。

けれど、今まで通りのやり方に固執し、どんどん自信を無くし暗くなる環境に身を置き続けることで、変える気力と体力すらなくなってしまうことを想像した時に、絶望を感じるなら勇気をもって挑んでみるか!と変化を求めて走ってきました。

これからもそうです。

イメージの魔法は本当に大切で、古いやり方よりも新しいやり方がどれだけ心地よく、そしてそれは自分にはできるとリアルに思い描けると、道の途中の努力が苦ではなく楽になります。

ただし、焦りは禁物です。
焦って気づいた今無理に変えようとすると、人というのは周囲への礼を忘れてしまいます。

今しかないと緊急の行動をとるにしても、我が我がの言動をするならば、これまでの自分の人生の歩みや信頼を足元から崩す可能性があることを肝に銘じて行動することを、失敗から学びました。

立つ鳥跡を濁さず

自分を大切に思いそのために新しきへと向かえるのは、過去の自分の「縁」という流れがあるからです。
飛び立つから古きものはどうでも良いという言動は、過去も未来の自分も愛していないし、自分の周囲の人も愛していないと言わざるを得ない。

例えば、過去の人はどうでも良いと雑に扱い無下に縁を切れば、その人々から恨みをかい、その想念がまとわりついて自己を苦しめるでしょう。

これは精神世界の話ではなく、心理の話でも説明できることです。
想念などという目に見えないものでなくても、失敗をするような悪さ(復讐)をされるでしょう。
もしくは、心のどこかに少しでも罪悪感があるならそれが自己を苦しめる。

苦しいと周囲を悪者にしたくもなりますが、単に価値観が変わっただけで周囲の人はそれを選択する権利があります。
自分が変わり目に来たのであり、自分を変えればよいのです。

変わり目に来ると、古い環境が苦しくなりますが、まずは礼を尽くして自分も周囲も納得できるという準備の期間を大切にしてくださいと、自分の経験も交えてカウンセリングにて話すようにしています。

準備期間について、見え聞こえたことと共に、心理の基礎にのっとり準備段階の助言をしますが、どうにもみなさんその期間を端折りたいようです(笑)

粘り強い方はどうしても端折れないかと、あれこれおっしゃいますが、それは最善の道ではないため承れません(笑)
時には、言った通りにならないと駄々っ子になり噛みついてくる方もいます(笑)

情動をコントロールする援助をし、なぜ思うようにいかなかったのかを一緒に考えるのが私の仕事です。
占いや感は使いますが、私は人の運命を指図する立場にありません。
判断基準の参考にと見えたままを申し上げるのみです。

話を戻しますと、私にもそろそろ変わり目のサインが来ております。
昨年から準備期間始まるぞと思える現象を感じはじめ、年末年始の休みを利用して計画を立てました。

とても勇気のいる決断でした。
でも、その方が未来が明るいから、そこへ向かってまっすぐ進みます。

📝[日記]いつも精一杯の理由。

思い残しなく生き切りたいだけなのです。

それは、自分も誰も大切にできなかったことによる経験がそうさせています。
人としての道を外れたならもう二度と元に戻れない雰囲気を壊したいというのもあります。

諦めて自分を大切にできずに、生きながらにして死んでいた私は不満だらけでした。
言いたいことがある割に、おとなしくておりこうさんを決め込んでいる嫌な奴でした。
出来ない理由を掲げ、うまいこと誘導して人にさせるような傲慢な人間でした。
極めつけに、感性が強いことに酔いしれ、世の中はどうしてこんなに理不尽であるのかと嘆くだけの自意識過剰で勘違いも甚だしい愚か者でした。

決定的な出来事により「誰も幸せにしない存在」であることを実感した時に、全力で生きようと決めたのです。
仏陀が29歳の時に全てを捨てて出家したように、29歳の時に全てを捨てて「真実」を求めて心理士を志しました。

持病も相まって、最初はブレにブレていました。
自分の不甲斐なさに何度も泣き、奥歯割れるほどに悔しさををかみしめることもありましたが、しかし経験することを止めずに自分の最善を全力で行ってきました。
誰の、何のせいにもしないことも決めていました。

常に心理の基本を大切に、問題を問題のままにせずに、なぜそうなったのかの分析をしながら試行錯誤を繰り返す中で得た真実は非常にシンプルでした。

自分に素直に今を生きる。

思い描く道を進むときに起きるすべて(今)に真摯に向き合い、最善を生きればそれがつながりを生み出して答えを出す。
さらにその答えの先をと道をたどればたどり着く。
間違いはない。
早さを求めればそれに見合った出来事が起り、ただそれに取り組めばよい。

間違いを恐れたり、変に計算をするから不自然となり「ままならない」となる。
これが「煩悩」されど、それすら道。

自分が心から望むことを行い、その中で経験することが自分を成長させてくれる。
思う存分自分を生きる中で、調和・責任・常識などざまざまな社会性も学ばせてくれます。

自分を抑えて生きることも道。
そこに信念があるなら不満が出るはずもない。
不平不満を人にぶつけても自分の人生は変わらない。

自信がないなら小さい成功体験を積もう これならできる
病弱だけど必ず丁度良くできる方法があるはずだ
散歩ならできる 毎日10分なら運動できる
ちょっと食事を意識することならできる

これならできるの小さな繰り返しは、いつしか大きな「これならできる」になっていきます。

人はいつか死ぬ。
その時に何の悔いもないほどであれば、死は恐れるに足らず。

とこれからも全力で「これならできる」をやっていこうと伝えていきます。

📝[日記]原点回帰の旅🛫

大切にしたいと思う心にうそはつかなくていい。
それが非科学的であったとしても、そこに「思い出」という記憶がある限り大切にする。

そして、そこに「答えはある」

これは心理士としての私の強い信念です。

たくさんの人が共に生きる時に、互いの生きやすさのためのルールができていきます。
そしてそれは時代と共に変わっていくものですが、変化への恐れなどから「固定された常識」として圧力となり、逆に生きやすさを奪うものとなることがあります。
逆もしかりで、心理士と共に、自然療法を行う中で非現実的な伝統や知識があることを知りました。
変えていく必要のある自然療法の常識を、「現代薬草魔女だったら」として伝えています。

しかし、変えてはならないものもある。

日本では「スピリチュアル」という言い方で定着していることも、変えてはならないこともあると思っています。
人を騙し洗脳するという風に即座に考え拒絶する方もいますが、地元の習慣として人と人が繋がる儀式として受け入れている方もいます。
特に死生観に関しては、死を受け入れていく段階として必要な思想です。

答えは自分の中にある。

人生の選択は自分で決めていくことのできるものです。
何が正解かではなく「どう生きるか」であり、それによって起こりうることを想定しながら、問題を解くようにして経験を重ねていくことで「生きやすく」なっていきます。

例えそれが「幻想」にしか過ぎなかったとしても、そこに思いを馳せるという現実がある限り、心理士はそれを受け入れて、相談者が望む人生のサポートをすることが使命です。
無論、脳の機能による疾患と、死につながる思想など見極める力が求められます。

スピリチュアルを否定すれば、「いわゆる常識的」である自分を肯定できるという恐れが邪魔をします。
また心理においても、「いわゆる常識的」から離れいる人を「異常」とすれば自己肯定しやすくなります。
一時的ですが、「いわゆる社会」に調和していると思い込めます。

自分を肯定するために他を否定することが果たして「社会的」であり「常識的」と言えるのでしょうか。

否定の前に、理解するための時間が必要だと思うのです。
そして、適切な言葉で理解しようと話し合う時間も大切だと考えています。

いかにして、そのような環境にしていくのかを一緒に考えることも私の使命と心得ています。

生まれ育った場所は、自然豊かな場所です。
今も変わらない。
住まう皆さんも心豊かであることも変わっていない。

しかし、その場所で私は「否定」を経験したことも事実です。
「いわゆる普通」から外れた子供として生き、大人になった仲間たちは、今も「否定」の傷と共に生きています。
そして、今を生きる子供たちも「否定」を経験している。
人類の平和という学びはまだまだ続くのでしょう。

「恐れ」「不安」が生む「否定」

様々な経験をするたびにした決断とそれによる結果が、今という現実を作っている。
それが絡まってほどけない糸のようになっていることもある。

心理士として現代薬草魔女として、これからも「多くの人の心に触れて絡まった紐をほどき続ける」と宣言できた帰省でした。

2006年7月に自分を変えようと決意した時から変わらない思い。

先を生きた先人(神々)たちよ、この思い見逃すな。
私はここにいる。

万物に宿る命(御霊)から生きる知恵を伝え続ける。

 

がんばっちゃうからー!
応援よろしくー!

 

って、参拝してきました✨

📝[日記]不幸な自分を演出しても誰得でもない話。

コロナ過での長い生活と季節の変わり目、そろそろ積もり積もった小さな「負」が何らかの感情を生み出して、外へ表現したくなっているのではないでしょうか。
もっと前からそうだったのでしょうが、より目に見えて。。。

今回の日記は、重度のメンタルヘルスの問題がない状態の方の思考傾向に対してのお話です。
そして、お人によってはかなり厳しく感じるお話です。

積もり積もった負の感情は、大きくわけて自責・他責となって表現されます。
自責から始まり他責へと移行することもあれば、自責だけが続く、また、ただ他を責めるのみと表現は様々です。

”だれも、他人の本当のところの苦しみや悲しみ、過去の経験なんて知らない。
知りようもない。
それだのに、知ったつもりになって、勝手な想像で「うらやましい」「あなたはいいよね」などとのたまう”

もし自分や周囲が、他を責める傾向を感じたなら、完全に自分以外の人間を知っているのかと心にたずねてみるのはいかがでしょうか。
それでも、「いや、あの人は自分より条件が良いからだ」など、自分は不幸が基準から生まれた思いが頭から離れないなら、厳しいようですがこのことを知っておく必要があります。

それは、ただただあなたの中の問題です。
相手の問題ではないし、相手を責める権利もない。
嫌いは勝手だが、それもあなたの勝手でである。

”勝手な独り相撲をすることで自分の心が保てるならばそうすればよろしかろう。
しかし、決して自分も誰も幸せにしないことを、魂に刻んでおかれよ”

ということです。

自分は不幸だとか、ついてないと思う時には「謙虚さ」が試されています。
自分を不幸と決めつける思考の癖は、あるいみ「傲慢で怠惰」であると言えます。

思うようにいかない「不幸」な現状。

それは、「自分が道を誤った 失敗をした」ことを認めたくないために、多くの言い訳をすることで心が葛藤状態になり、心身を疲弊させ、ますます思考が鈍った状態になっていると想像ください。
そして自分の評価が「不幸」であると、幸せそうに自由に生きている「ようにみえる」人に、悪感情が沸き起こり、まるで自分が法律のように罰する、もしくは脚で踏みつけるように下に見ている発言をしている場面も想像ください。

はい、普通に嫌な人です。
そのような思考にとらわれている人に「良い機運」など訪れるはずもない。

自分を不幸と決めつけていると「嫌な人という印象を与える」という現実。
なにかにつけ、不満や比較、批判や張り合う言動しかしないことは、ただ時を止め何も行動していない「怠惰」
「あ、なんか間違えたんだな、なんだろ?」と原因を見つめ改善のために動こうとするその心を「謙虚」というのだと私は思っています。

もし、このように自分を見つめるとか、自分の中に答えはあると言うと、

「自分が悪いっていうの!!!!!!!!!」

とカーッ!と感情的になるならば、それは、今あなたは「あなたをありのままに認めようとしない」環境で疲弊しきっていることを知ってほしいと思います。
その場違いの場所からすぐに飛び出すことをお勧めします。(時にしたたかな長期戦略も必要でしょう)
もし、「生活できないから」「~のせいで」などの言い訳をするならば、それは先に述べたとおりの思考です。

ただ自分の望む方向へ向かうために問題を解く。
問題を解く中で、他人の生きた歴史(経験)を知り、自分の歴史も知ってもらい、相互に磨くことで共に発展していく。

自責他責に陥っているときには、このことを怠っていると言わざるを得ない。
このような意味で、自分を不幸と思う思考は「傲慢で怠惰」なのです。

それぞれの人生に、それぞれの独特の進む道の個性があり、正解などない。
もはや誰が決めたのかわからなくなっている「いわゆる常識」にあてはめ、他人と足並みがそろっているかを慎重に確認しながら自分を押し殺して生きるのは止め、

「自分を不幸と思うことで「謙虚さ」を演出しても、周囲には「嫌な人」にしか思われないなら、堂々と自分の道を間違えながらでもガリガリ・ゴリゴリと生きる!」

と決意するのはいかがでしょうか。

すみません、強く言います。

“人のことにごちゃごちゃ言う暇があったら、てめぇの足元見ろ、その方がよっぽど自分を、人を、世界を幸せにする。

頭の中でごちゃごちゃいう自分には「うるせぇ!だまってろ!今幸せになる道の途中だ!先は見えてる」と言い返せばいい”

時には強く、このように自分自身を叱りつけることも大切です。
喝破して、心の魔を祓うのです。

勿論、心の動きを説明している私自身も、時々悪い魔女になります。
また、かつては本当に人を呪う割に何もしていない人間でした。

今でも呪っちゃうぞーとなることだってあるけれど、それでも前を向いていたい!
それぞれの人生の道を応援できる人でありたい。
自分を幸せと思う心で魂を共鳴させたい。
という思いの方が強くなるような、思考の訓練(経験)を繰り返すことで、バランスを保つことができるようになりました。

いい悪いでジャッジするのではなく「バランス」という考え方が大切です。

人は不都合なことには向き合いたくないと思うものですが、向き合う方が「昇華」という人を活かす魔法の力となります。

📝[日記]自分が今できることを知っているって大切。

自分を追い詰めるほどには無理しないを基本に、

・仕事時間の調整(家と仕事場の移動を最小にする)
・仕事場の衛生、感染予防対策(換気、消毒、マスク、検温など)
・娯楽の自粛(必要最小の動きと、見るものの厳選)
・生活必需品の買い方(基本数日分買いだめ、最小時間で購入)

などなど、国や他の情報網から得たことをもとに決めた新しい習慣です。
慣れてきたとはいえ、やはりどこか無理をしているのでしょう、ここ最近特に自分の思いがたくさん出てきております。
たくさんの思いが出てきたときには、考察し言葉整えて発信したいというのが私のポリシーであります。

それだのに、Twitterで横道に逸れてしまった感もあり、今反省しています。
その時の感情で、ぶっきらぼうに投げ捨てる様な発言をしていたと思います。
いいねをくださっていたのに、ごめんなさい🙇‍♀️
いいなと思ってもらえることはとても嬉しいです。
が、これは実に自分らしくないと思い、また浅はかな自分を許す事ができず、身勝手と承知で削除しました。

同じような相談事が重なる時には、何か意味があるのではと思い、言葉まとめて発信するのがマイルールです。
Twitterは言葉の世界ということで、どなたかの心に届きますようにと浮かべています。
Twitterは、画像も載せられますが、やはり主に言葉の世界の様に感じていまして、言葉だけだと誤解も生ずると思い、言葉の発し方には気を付けています。

Instagramは、ヴィジュアルの世界ということでにて、プライベートも含めて思うままを掲載しております。
映像があることで、声のトーン、話し方などから、自分のことを誤解なく理解していただきやすいという理由からです。
代表としての人となりも知っていただき、その上で日々の予報など伝えています。

Youtubeの動画をご覧になった事がある方は、ご存知のことと思いますが、私には極端に走る傾向があり、バランスを取る事がとても大切です。
そのためのマイルールを決めています。

自分が今できることを常に精査して、その上でより良いを目指していくコツコツ型でいくのが、私には良いのです。
感情のままに動いて歯止めが効かなくなり、結果誰かに尻拭いしてもらうということを繰り返して、自己肯定感を無くしてしまっていた時の状態はひどいものでした。
子供を育てられない自分に気づいた時に、自分への信頼も、周囲の信頼も壊し続けることはもう二度とすまいと誓って今があります。
我が子を育てられない惨めさと言ったら言葉にできません。
「キチガイのくせに」「育てられないなら産むな」という批判は、非常に辛いものでしたが受け入れる必要がありました。
変わる方法を教えず育てない社会という現実に、非常に悔しい思いは確かにありました。
恨みすら感じ、怨念の様な感情は今でも出てきます。(仕事の使命感に変換しています)
親の育て方のせいにしたこともありましたが、事実そうでも、それを理由に逃げる事もすまい、全ては自分次第だと思考を変えてから、自己肯定感は戻りバランスを保てる様になりました。

心の動きを論理的に説明できる様になろうと、心理士になったことも良い選択でした。
この時にも、心の病気になったから人の気持ちがわかると安易に心理の世界に来るなんてということを、それとなく言われたこともありました。
心理の世界の人とはいえ完璧などないのだ、そして、結局、何をどうやっても否定的なことを言う人はいるのだと学び、ならば自分の思うままやってみようと思えた時間でした。
心の動きを知るという事は自分を知るという事ですから、心理を学ぶその事がセラピーになると今は自信を持っていえます。
「習い事というセラピー」として講座を開いています。

私にとって薬草魔女の活動は人生の全てです。
生徒は家族です。
お客さんは私自身です。
全てがつながりの元に、相互に生かされていると思っています。

それを壊す事はしたくありません。

これらの人生の歩みが、今のこの気難しい一面のある私を作っています。
本当の意味で楽しく健やかにいるために必須のことなのです。

極端に走る傾向は、障害といえば障害です。
なんて強烈な個性を持ってしまったのだと、今と思う日もありますが、「上手にバランスを取る方法はある」と、子供の頃の環境によりメンタルヘルスの問題を持ってしまった皆さんに希望を伝えたい。

コロナ禍にあって、みなさんの心の余裕がなくなってくると、「障害や病気に逃げるな」など、心挫かれる言葉により多く直面することになると予想されます。
今もう、そうなっているかもしれない。

諦めるなくらいつけ
悲しくなったら魔女がいるから

と言えるようにしておきたい。
そういう思いでTwitterには言葉を浮かべています。

また、この「バランス」は、障害や病気ではない方でも必要であると伝えています。
今の混乱した世にあると、不安から焦って極論に至りやすいものです。
早く目標に辿り着いて、結果出して安心したくなりますが、今できることを知り、淡々と日々生きる方が早道です。
1段1段昇ること。
2段跳びできる人もいますが、焦らず1歩を愛しむ。

自分が今できることを知っているって大切です。

自分がどんな人生を歩み
何を学びどんな価値を持っているのか
何が得意で不得意なのか
日々何を食べていて
それによってどんな身体・精神になっているのか

今一度そこを振り返ってみると、できる事が見えてきます。

辛いときには安易な方向に流されやすいですし、情報にも翻弄されやすくなります。
世の一般の正解を求めるより、自分の生活環境に適した正解を出す方が、お互い様と手を繋ぎやすくなると思います。

今の私は、

・植物と会話し育てる事はできます
・共感覚と人の感情に敏感な性質を生かして心のケアができます
・心の動きを論理的に説明する事ができます

このできることを大切に、人を壊すのではなく人を生かす人として生きていきます。

📝[日記]抑圧は他人を許せなくさせますね

「自分というに人間を追い詰める」ほど自分に厳しくしないで良いと思います。
これはやっていいかな、、、というその慮る心は、きちんと適切な行動が取れる証に思うのです。

本当に自分のことしか考えていない人間は、悩みもせずに好き勝手にしている。
そして、人の言うことを聞くつもりもない。
そして思い通りにならないと人のせいにして攻撃する。

「それぞれにできる範囲を模索して、みんなでこの時を乗り越えよ〜う♪と、一致団結でスムーズに、、、なんてうまく行くはずもない。人類はまだまだ未熟で浅はかな部分を持っている、こりゃ長引くぞ」
ということは、大抵の人には理解済みのことに思うのですが、だんだんに追い詰められていくとゆとりある心も枯れ果て、周囲の言動に敏感になり「なんでできないんだ!」「ありえない」「〜するべき」と声を荒げたくなるものです。
常識では測れない障害を持っていることへの理解も辛くなるかもしれません。

”理性でなんとか抑え込みますが、怒りや悲しみ、時には憂鬱な気持ちが溢れそうになる“

しかし、そういう心の葛藤や様々な感情を感じる事は人の成長に欠かせないことに思うのです。
先にも述べましたが、本当に身勝手な人はとっくに、自分が気に入らない人間や騒ぎになっている人を攻撃の的にしてスカッとしているはずです。

身勝手な人は、匿名を生かして実生活では仮面を被り上手いこと生きているように見えて、我々のような超敏感人間にはバレてしまいます。
いや、みんなにバレています。

正直者はバカを見ると言われますが、結局困った時には正直で誠実な人に頼ります。
自分のことのように思ってくれる人のところに行きます。
身勝手で要領の良い人というのは、信頼からは程遠いのです。
ちゃんとみんな見ています。

その誠実さが抑圧を生んでいますが、その思いは信頼となって帰ってきます。

自分を追い詰めるほどに配慮できる思考があるならば、身勝手極まりない行動などするはずもないのですから、あまり厳しくしすぎず、時には自分を喜ばせることをしてください。

📝[日記。]文化・芸術の変わり目だぬなー。

いい加減緩ーく過ごすのもよろしくないなと、5月の日記にしたため、保留していた計画を動かし始めました。

忙しいを言い訳にしてみたり
コロナを言い訳にしてみたり

言い訳は自己肯定感を弱らせるという過去の経験。
「止まるな!知恵絞って動け!」という言葉が脳内で何度も再生されていました。

人の目を気にして委縮し、メンタルをやられて、悲観的・被害妄想的になり、自他ともに傷つけるようになった過去の自分が、自粛が自分という人間を壊してしまうほどにまで頑なになってしまうな!という激なる魂の叫びを響かせて守ってくれた。

成長した自分を嬉しく思いました。

さてさて「細心の注意を払いつつ、楽しく人生をコマを進める」と、緊急事態宣言解除とともに行動開始。
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[日記。]自分でさせて育てる。

仕事の在り方を変えなければいけない状況を先延ばしにして、だらしのないことになっていた自分に、「こらー!」と厳しくしている最近です。
責任と馬鹿正直でやってきただけに、今の不誠実な自分が許せないでいます。

昔からこの内省を重んずる性格は変わらないのですが、自分に自信がなかったころには、「そんな厳しくしないで」「適当でいいんだよ」「もっと自分を許してあげて」「あなたが心配で」という言葉と共に、強烈なダメ出しをして説教をするような人たちに流されて、自分を変えようとした時期もありました。

そして、変えようとすればするほど何もうまくいかず、無意味に自分を傷つけるだけでした。
自分に全く合わない、ただ人間として自信を失うだけの、言葉に慎みのかけらもない、言いたい放題のダメ出しで人が成長するはずもありません。

自分にとって必要な叱咤激励により、猛反省したのちに改善策を実行する方がよほど清々しかったし結果も出ました。
これにより、その人にとって大切な言葉を選ぶことの重要性を実感しました。

結局、そういう人を落とす言葉をかける人たちは、怠けたいだけで成長をしているようには見えませんでしたし、実際にしていませんでした。
自分への言い訳を私に伝えていたわけです。

楽観も過ぎると単なる怠けの甘やかしで成長を一つもせずに、ただ日々誰かや何かの文句も言って過ごすことになるなんて、私の人生にはない。
一見緩やかに生きている人も、しっかりとやるべきことはやっている。
どんな人となり、こだわりがあっても良く、無意味なダメ出しは必要ない。

自分らしさを社会に活かし、その人が生き生きと生きる諭しが大切(本人が望んだ時)だと分かってからは、先に述べた方々とは、生き方が違うので尊重し合いましょうと距離を置くようになりました。

だからこそと、責任と馬鹿正直、時々ちょこっとお茶らけてやってきましたが、やり方を変える時に来た時に、自分も同じように言い訳を生徒さんに伝えていることに気が付きました。

「忙しい、忙しいは言い訳です」
「なぜそうかを導き出して改善する。それだけです」
今頃先人の言葉が身に染みてます。

また、自分らしくない方向に引っ張られて、自分のように回り道しないでいいようにと何でも「おかーちゃんがやるで!」と差し伸べてきた手は、結局は生徒さん方の成長を止める行為でした。

自分でさせて育てること。
そして、自分らしくないことはしないこと。
自分の感を信じること。

基本中の基本を今後もしっかりとっ。

そんな代表の日常。

[雑記]時代の変化

私が薬草魔女を前面に出して10年ほど、、、おまじないTeaも10年、、、。
15年前に人生の大きな決断をしたことに、ある程度の結論を出すことができたと、心から思える自分がいます。

というしみじみな思いもつかの間、世界的に大きな変化の時に入ってしまいました。。。
が、日々淡々と自分のすべきことを見つめ、必要な調整を加えつつ次の目標に向かっています。

昔の私は、本当にどうしようもない人間でした。
個人差はありますが、大抵、自分の可能性が認められずネグレクト状態で、抑圧しかない環境で育った子は、ある日我慢の限界が来ると、ひきこもるか、非常に短絡的で自由奔放に生きるようになります。
その自由奔放は、無責任で自己破壊的で、周囲も巻き込んでいきます。

29歳の時、自分がされたことを子供にしてしまう負の連鎖を断ち切るために、2人の子供と離れる選択をしました。
子供がかわいそうとか、逃げただけだとかいろんな意見を頂戴し、ひどく自分を責めた時期もありました。

心理士になり、たくさんの方の心の相談を行うようになって、「答えなんかなく、大切なのは決めるかどうかだ」と気づきました。
それぞれに人生のドラマがあり、その都度考え、苦しみ、決断していきます。
決めたことに対して、どんなリスクがあり、何をする必要があるか、周囲の反応に対してどうこたえていくかなど、よく吟味し決めたことであれば、間違いなんてないと私は思っています。
「目の前にあるのは問題なだけ、どう解いていくかだ」という考え方に変えてから、すべてが好転しました。

誰かが決断するのに苦しんでいたら、一緒に自分なりの答えを探して、その方が本当に心から決断できるようサポートできる人になろうと走り始めて今に至ります。
また、人生を進んでいくうちに、これまでずっと自分を苦しめていた「感性の高さ」がこの仕事にはとても役立つことに気づきました。
薬草は私が、人間として成長するうえでとても助けになってくれました。
心を見る目る時には、同時に体の変化も観察します。

・劣悪な環境で、自己の存在を認められることなく育った人間でも変わることができることを伝えたい
・子供がいつかどこかで私を知った時に、「やっぱりな、残念」なんて言われない人間になる
・心も身体も健康で自分の人生を謳歌する方法を伝えたい

この思いと一緒に、ただがむしゃらに走ってきました。
これらの目標は、ある程度達成できたのではなかろうかと思えるようになっています。
そして10年もたつと、子供たちは社会に出る歳になるのだと気づいた時に、子供たちに恥ずかしくない生き方をもっと見せて、そして、次の世代の子供たちに自分が伝えられる知恵は何でも伝えたいと思うようになりました。

このようなわけで、学生・新社会人の相談窓口をこそっと作ってみたりしました。
これには私の個人的な感情も入っています。
私が若かったら、薬草魔女に会いに行きたかった。

どうして自分がこんなに敏感なのか教えてくれる人はどこ。
薬草魔女というファンタジーの世界観をあざ笑ったり責めない人はいないのかしら。
現実を見ながら、ふわっと夢で包んで、薬草で癒して欲しい。
生きる厳しさも、人のやさしさも教えてくれる薬草魔女に会いたい。

今の子に薬草魔女は必要かしら。。。と思いつつ、こしょっと扉を開けてます。