平成から令和への変わり目に、思うことを綴りたいと思います。
日本人だから、女性だから、男性だから、~歳だから、子供がいるから、仕事があるから。。。
全体のバランスとして、法律など色んなルールを守る責任もあるでしょう。
しかし、それ以外の自由意志のところまで、制限がかかっているような気がする。
それは自分の思い込みからの制限かもしれないし、誰かや何かの故意の情報に知らぬ間に影響を受けているのかもしれない。
どちらにせよ、その日々感ずる制限と本心との葛藤は、日々の言動によって表現され、また身体症状として表現されることもあります。
4/20の記事で、
“…時に不思議と経験のない文化が懐かしく思えたり、いとも簡単に馴染んだりすることがある…”
と書きました。
自己の望む生き方、価値観を、古代の生き方への憧れという形で、表現することもあります。
私の場合を申しますと、幼いころから薬草を扱うシャーマン、特に北米インディアンへの憧れが強くありました。
また、縄文人、アイヌへの興味も強く持っていました。
近世の西洋ハーブやそれを扱う人々の生活様式への憧れもありました。
近世の西洋ハーブやそれを扱う人々の生活様式への憧れもありました。
共通しているのは、「自然の中で自然に生きる生活様式」です。
先住民や古代人の生き方、価値観に「自己の本来望む生き方」を映し出すも、決して現代に合わせた形にして行動に移すことはしませんでした。
自分らしく生きることはできないだろうと思い込み、それならば憧れの世界だけで完結させようと諦めていたのです。
しかし、自己の価値観とかけ離れた生き方は、自分を追い込み、憂鬱で不満だらけの現実を作っていることに気づき、終止符を打つために、
「好きなことに忠実に、夢中に。」
生きてみることにしました。
29歳の時でした。
確かに人は、本心を抑えたり、妥協した選択をした時に、「自分が決めたことだから」と責任を果たすことにより、精神的に円熟していきます。
しかしだからといって、全て諦める必要もなく、軌道修正できないわけでもありません。
その責任を果たす中で、創意工夫すればいくらでも「自分らしく在る」ことは可能です。
また、時として「できない・果たせない」ことを認めて、終わらせることも必要でしょう。
強制的に「脱出」ということになるかもしれません。
どんな選択をするにせよ、そこには「学び」があり、その学びを生かす生き方という未来に視点を合わせていることが大切であると、自己の経験から思っています。
選択した方法に、周囲は言いたいことを言うでしょう。
相手への期待や、自分の生き方を肯定したい思いが、他人の生き方に踏み込みすぎてしまうのです。
時には強く断定的に言われることもあるでしょう。
しかし、それは1つの提案にしかすぎません。
「選択し実行するは自分」という魔法の呪文でもって、跳ね返すことが可能です。
私の場合は、「好きなことに忠実に、夢中に。」生きた先に、仲間ができました。
また、憧れた生き方を、現代薬草魔女としての「私流」の生き方として表現できるようになったことは「自信」と「信念」を強めてくれ、他人の言葉に翻弄されないようになりました。
とてもとても、創意工夫が求められる時間でしたが、自己が望むことをしている時にその時間は苦痛ではないことも学びました。
夢を叶えた先には、また次の夢が生まれます。
今私は、北欧のヴァイキングの生き方に自己の夢を映し出しています。
薬草魔女たちは、それぞれの夢を映し出す「古代の生き方(文化)」を現代に合う仕方にアレンジして表現しています。
その生き方(文化)は多様ですが、共通しているのは、「自然の中で自然に生きる生活様式」です。
https://br.pinterest.com/pin/829084612631594465/
我々は、仲間を探しています。
どうやったら、その夢の生き方を現実にできるか、一緒に考えていく仲間です。
私には、その仲間探しの旅が「ヴァイキング」の生き方とマッチしているのです。
侵略というところは見習わず(笑)、臆せず新しい土地に向かう勇気を見習い、そこで仲間を探す。
また、必要ならば新しい文化を取り入れ自分たちのものにする柔軟性と合理性。
ヴァイキングもインディアンも、古代の薬草を扱う魔女たちも個人主義です。
だからこそ、個を尊重し協力するのです。
今の社会の常識が「自由意志のところまで、制限がかかっている」ような気分にさせるならば、魔女たちはその呪いから解き放つのが使命です。
もし、「好きなことがない」というのでしたら、情報量をふやし選択の余地ができるお手伝いをします。
また、嫌いなことに固執せず、気にならない感覚になるサポートもします。
キリスト教化が進む時代にあって、ヴァイキング(異教徒)の生き方はとーーーーーっても「浮いていた」ことでしょう。
また、同時に魅力的に見え、それ故に誘惑する「悪魔」のように感じたことでしょう。
同じように、今の社会の常識の中で薬草魔女たちはとーーーーーっても、「浮いて」見えるでしょうし、「怪しい」「非常識」と感ずるかもしれません。
しかし、臆する
ことなく我々は、現代の世の中の「不必要な制限という問題」に立ち向かいます。
ことなく我々は、現代の世の中の「不必要な制限という問題」に立ち向かいます。
戦うのではなく、立ち向かいます。
世界を体現する大樹「ユグドラシル」
5/18薬草魔女のお祭りイベント♪は記憶の同窓会です。
薬草・古代・アミニズム・精霊など自然との繋がりに心惹かれるなら「現代薬草魔女」の生き方に魂が震えるかもしれません。