私の人生は複雑で、色々な絡みがあり、その歩んできた人生、場面にはいろんな意味が存在し、色々な解釈が出来るのですが、「個人の幸せ」という事に焦点を当ててみていきますと、20代前半の生活を思い出します。
20代前半は、ダイエットにも成功し健康な体を手に入れ、仕事も順調で、「うつで、リストカッター、そして引きこもり」という自分を粗末にする生活から脱出し、程よく働き、生活の土台が出来上がっていました。(ちなみに自分も誰も困らない引きこもりは、悪いとは思いません)
当時の私は私の超マイペースな性格を把握していましたから、一生独身で結構だと思っていました。
月7万円の収入。
ボロボロの家だけど、小さな庭にはジャスミンが咲き誇り、その向こうには畑がみえ見渡し通い。
玄関には近所の人が褒めるほどの、立派で美しいアジサイ。そして、小さな竹林。
勿論、お決まりの飼い猫がおり、そんな中で、コツコツお金を貯めてはギターの機材を買いや好きなゲーム、旅行など楽しむ日々。
周囲とのかかわりは、最小限でしたが、それで心地よく円満であり、程よい距離間で互いの孤独を尊重し合える環境にいました。
しかし、一般的な幸せを世間から耳にするようになった時に、急にその幸せは幸せではなくなり、自分を不幸だと思うようになったのです。
結婚してない!
子供いない!
良い服着てない!
お金ない!
そして、うつは再発し、そのすべてを捨てるところまで追い詰めていきました。
その後、一般的な幸せにとらわれて、現実から逃げるようにして掴んだ結婚生活はうまくいくはずもなく、結局、自分の命と人生を台無しにし、家族も巻き込んで家族の人生にも傷をつけました。
見栄や世間体はそういう悪さをします。
今を生きる若い方には、見栄ではなく、自分らしく生きているという誇りを持って欲しいなと願います。
見栄だけでなく、
女の子なんだから、男の子なんだから
こういう事も私には邪魔で仕方なく、性別が何であろうと、「男性的」「女性的」というものは個の中に存在し、それをどの程度、どの割合で表現するのを好むかは、個人の自由であると思っています。
そして、その部分も「一般的」という多数の圧力を前にして、私はいつも葛藤することが多くありました。
強気で答える時もあれば、負ける時もありましたが、やはり、心の声には勝てません。
何度も自殺未遂をしましたが、結局「生きたいな」と根柢で思っていると、無意識に加減します。
しかし、「死に囚われると」いつかは本当に死を遂げます。
そういう親戚の死を目の当たりにしてきました。
思い残し、未練たっぷりのまま死を遂げるのです。
生きたまま死んでいたゾンビの私は、20代の頃の、よく弟と人生について熱く語り合った頃をふと思い出し、脳内独り哲学をはじめました。
今思うと「瞑想」というものです。
そして、人は自分らしく生きるという欲求を抑えることはできないのだと悟り、「死ぬには生きるしかない」という結論に至り今があります。
死ぬまでにやりたいことリストを書き出し、それをやり切ることに専心することにしました。
どんん小さな欲求も見逃さず、日々自分で自分の願いをかなえる事だけに集中しました。
後になって、これが所謂「積み重ねの努力」であることに気づき、本当の努力って苦しくない!と分かったのです。
一見すると、その時の私の行動は「わがまま」です。
ですが、そのわがままが今の「結果」です。
今の私が答えです。
勿論、たくさんの方の助けも借りました。
「助けてやった」という人の縁はすぐ切りました。
「恩を返したい」と思える心の温かい人とだけの交流しかしないと決めたのです。
一見優しく見えても、そこに駆け引きがあり、コントロールしようという人がいます。
そういう人たちとの交流はやめました。
その中で、「正しく怒りを表現する」ことも学びました。
本当に「助け合いを知っている人たちの言葉は厳しい時もありますが、いつも心が温かくなります。
その自分の「感覚」を信じることがとても大切です。
そういう方との交流は、素直に「あー、そうだそこは悪かったな」と自分の間違いを認め改善できます。
ド根性であきらめないのだ!
もいいでしょうし、
静かに、自分は自分である。
も、クールでカッコいいと思います。
とにもかくにも、自分を誇りに思える選択をいつもし、大切に生きる時に、自分に関わる人も大切にして生きている自分に気づくでしょうし、それが本当のコミュニケーションなのだと魔女は思っています。
取り繕うために、「しょうがないから付き合う」というのはなしです。
確かに考え方次第で、どこで何をしていても「楽しい」は出来ます。
でも、自分の好きなように生きることも「学び」です。
どういう生き方をしようと、そのすべてが常に自分を新しくさせ進化させます。
大切なのは、「自分で考えることが停止するほどの環境からは抜け出すこと」です。
自分で納得した選択によって人は成長していきます。
考える力すらなくなり、すがるように人に決めてもらっても、何の手ごたえもなく、同じことを繰り返す可能性があるからです。
また、心のスキを突かれ「洗脳」されていく可能性もあります。
私は、宗教にハマり「大好きなメタル(音楽)」を捨てるという愚かな選択をしました。
ロックやメタルは「悪魔の所業」という、今考えると「アホか!」と怒るところが、自分に自信が無いあまり「メタルが私をダメにした」と信じ込んでしまったのです。
この時代のこの部分に関しては、まだまだ細かな心理分析が出来ますので、どこかの機会で、例としてお話しできればと思います。
適正なサポートを受けたとしても、自分で考える力を取り戻すには、とても多くの時間を要します。
私は10年です。
この時期は、「自分とは何だろう」と問いたくなる方が多くなります。
考える力がなくなる前に、自分で自分を救ってほしいなと思い、今回は久々に自分の経験を書いてみました。
薬草魔女Maya