自分と自分の技術を高く評価しすぎではないかと、そう思うことがある。
これは思い上がりではないかと。
それでも、自分に確信があるものを、私は隠すことが出来ない性分だから、
大きく前に出してみる。
でもどこか、自信がない。
自信なない? 違う不安だ。
自信と確信はあるのに、人の評価の方が「正しい」のではないかと不安がる。
昔の思い癖だ。
昨晩旦那に、「お~ら茶の価値」について話をした。
彼は私の主人であり、仕事のパートナーでもある。
(勝手にそう思ってるだけなんだけど。笑)
実績も何もない、単なる魔女がやろうとしていることは、
とても分不相応ではないか?
先が読めない怖さと、それでもやってみたい希望を話した。
「自分の信じていることに、高い価値を持つことは大切なことです」
「今必要なのは、その価値を知ってもらう努力です」
「その努力に、僕が付き合うからには、あなたがちゃんと自信をもって行動してくれないと困ります」
ごもっとも。
「だれでも、お~ら茶なんて出来る」と思っている人がいたら、それは間違いだとはっきり言える。
「氣」でお茶を飲む。
創る人の「氣」が入ることを忘れてはならない。
また、それを作成するまでの努力と時間を忘れてはならない。
私のお~ら茶は、芸術。
私の「氣」の表現なのだから。
彼は、私に一切干渉しない。
でも尋ねると、いつも的確で必要な言葉をくれる。
見ていて、私が見落としたことを、さっと拾って、さりげなく支えてくれている。
ありがとう。
同じことを言ってくれた人は沢山いた。
でもなんか、魂に入ってこなかった。
あ~、これが「愛」を込めた言葉なんだな。
そう思った。
どんなに上辺だけもっともらしいことを言っても、
「愛」が含まれていない言葉には、人は反応しない。
もしくは、信頼していない人の言葉には反応しない。
私は相変わらず、マイナスの面だけ見る癖がある。
「私のことを公平に評価して、真実の意味で高めあえる人」もちゃんといることを、
そういう人を思い出すことを忘れないようにしよう。
アニメの名セリフを思い出した。
「お前を信じる俺を信じろ!!」
そうだ、
私を信頼してくれる人を信じて自分を信じよう。
人は自分が努力を怠っていることを正当化しようとして、
「~のくせに」とか、
「ここはいいけど、そこはダメね」とかとか、
人の悪い面を探して、心で見下す。
また、
「偉そうなこと言って、そんなのみんややってるわよ」とかとかとか、
「あなただけじゃないのよ、みんながんばってるの」とかとかとかとか、
「公平」のふりをして、自信を失わせ、馴れ合い集団に引き込む狡猾さがある。
勿論、例外なく私自身も。
実は今まで、そういう人を「いい人」だと思ってきた。
違った。
というか、
だったら、お前私の変わりやってみるか?
そのダメなところ、お前は出来てるのか?
そう思う。
というか、というか、
「みんな?」そんなの当たり前だろう?
無邪気に公に「見て見て~♪」とやるか、やらしく隠して心で優越感に浸るか、
どっちにしても、人は虚栄心を持っている。
ただそれだけだろう?
公にやるということは、自分の悪い面もあらわになる。
そこ覚悟してやってること忘れんな。
そして、「共有」の良さを体感し、励ましあえる良さがある。
これが大切なんだよ。
私は、周囲が信頼できるほどの、正直な人間か?
このように、彼との会話は、自分に問い尋ねる時間ともなった。
そんな彼に、今貿易の勉強をさせている。
(あくまで上から。ぷぷぷ)
ほんまに、自分しっかりせな。
これからも私は、自分を大きく打ち出す。
押し出す。
そのやり方が好きだ。
そうやって、流れに乗ってきた。
そして、実際にそのやり方で、
やりたいことを、やりたいだけやれている。
今日は、アニソンオフ会。
彼らは真実の同士。
私の旦那と一緒で、お互い絶妙な距離感を保ちつつ、
困った時にはヘルプしてくれる、そんな貴重な存在。
私は表現が下手だけど、いつも感謝しています。
そう思った朝。
さ、準備します!!
☆講座 (ここは比較的しっかり、随時開講中~☆)
☆せらぴ~ (こころとからだの癒しなんだよ。。。と見せかけた説教かもね)
☆マルマガ (ぼんやり月1回配信するとかしないとか。。。)
☆ツイッタ~ (いいたい放題っす☆)