📝[日記]いつも精一杯の理由。

思い残しなく生き切りたいだけなのです。

それは、自分も誰も大切にできなかったことによる経験がそうさせています。
人としての道を外れたならもう二度と元に戻れない雰囲気を壊したいというのもあります。

諦めて自分を大切にできずに、生きながらにして死んでいた私は不満だらけでした。
言いたいことがある割に、おとなしくておりこうさんを決め込んでいる嫌な奴でした。
出来ない理由を掲げ、うまいこと誘導して人にさせるような傲慢な人間でした。
極めつけに、感性が強いことに酔いしれ、世の中はどうしてこんなに理不尽であるのかと嘆くだけの自意識過剰で勘違いも甚だしい愚か者でした。

決定的な出来事により「誰も幸せにしない存在」であることを実感した時に、全力で生きようと決めたのです。
仏陀が29歳の時に全てを捨てて出家したように、29歳の時に全てを捨てて「真実」を求めて心理士を志しました。

持病も相まって、最初はブレにブレていました。
自分の不甲斐なさに何度も泣き、奥歯割れるほどに悔しさををかみしめることもありましたが、しかし経験することを止めずに自分の最善を全力で行ってきました。
誰の、何のせいにもしないことも決めていました。

常に心理の基本を大切に、問題を問題のままにせずに、なぜそうなったのかの分析をしながら試行錯誤を繰り返す中で得た真実は非常にシンプルでした。

自分に素直に今を生きる。

思い描く道を進むときに起きるすべて(今)に真摯に向き合い、最善を生きればそれがつながりを生み出して答えを出す。
さらにその答えの先をと道をたどればたどり着く。
間違いはない。
早さを求めればそれに見合った出来事が起り、ただそれに取り組めばよい。

間違いを恐れたり、変に計算をするから不自然となり「ままならない」となる。
これが「煩悩」されど、それすら道。

自分が心から望むことを行い、その中で経験することが自分を成長させてくれる。
思う存分自分を生きる中で、調和・責任・常識などざまざまな社会性も学ばせてくれます。

自分を抑えて生きることも道。
そこに信念があるなら不満が出るはずもない。
不平不満を人にぶつけても自分の人生は変わらない。

自信がないなら小さい成功体験を積もう これならできる
病弱だけど必ず丁度良くできる方法があるはずだ
散歩ならできる 毎日10分なら運動できる
ちょっと食事を意識することならできる

これならできるの小さな繰り返しは、いつしか大きな「これならできる」になっていきます。

人はいつか死ぬ。
その時に何の悔いもないほどであれば、死は恐れるに足らず。

とこれからも全力で「これならできる」をやっていこうと伝えていきます。