人生の転機は「期待しない」という自立心を育てる

2023-05-22

人生の転機には、これまでのことが一変する雰囲気が漂ってきます。
束縛されたり、成長を止められるように上手くいかなくなる。
これまでの場所で求められていないような感覚に襲われる。

個人の自由と所属欲求が刺激され次の行動を促されます。

しかしながら人は自由でありたいと望みながら、期待されない雰囲気になると心が乱れます。
そして次へ行くか踏みとどまるかのはざまで揺れる。

私個人は周囲に期待されないように生きています。
周囲への期待もしません。
期待が束縛になるほど真剣に何事も行うからです。

ですので個人事業にして、会社にした後も一人社長でお気楽極楽でやっています。
生徒も弟子も仲間として「独りで生きる」方法を伝えています。
自分なりのバランスのとり方です。
この職人気質のやり方で社会貢献できています。

人情型で全力で生きるタイプとでも言いましょうか。
ある意味これは人に過剰に期待しているとも言えます。
自分の理想を人に押し付けているとも言い換えれます。

親切の押し売りはこの業種では、「自分はアカンやつ(未熟)」ですと言っているようなものです。

この仕事を天職とする前は、周囲の本当の気持ちや雰囲気を知ろうとせず、自分の想像の通りにしたいのにそうならないとジレンマが生じて怒りをためて自爆していました。
期待する答えが返ってこないと、愛が憎しみに変わりやすい。

よく見てみると、周囲はさほど期待も何もせずバランスよくお互い様をやって生きていきたいだけかもしれません。

これが会社となると、

・会社の方針に沿って程よく仕事をすることを望んでいる
・できる人より数が大切という方針である
・できる人数より長くいてくれる人を希望している
・できる人や即戦力だけを求めている

など考え方があり今の自分がそれに沿ってないだけかもしれません。

人は面白いもので、自由でいたいと思いながら所属も望むものです。
人間の進化は集団で生きるようになった時から始まっているからです。
自由と所属のはざまで心の葛藤が起きた時には、自分か周囲のせいにして自己をなだめようとする心理が働きます。

これは1つの例にしかすぎませんが、

複数社員のいる会社に所属して、役割分担して仕事をする場にいることを望んでおり、かつ自由をもとめるのでしたら、自他ともに期待せず、そこにいれて給料もらえているだけでありがたいというマインドがバランスを取りやすいと思います。
自他批判や愚痴につながる「できない感を醸す」「できる感を出すだけのやり過ぎ」などの気持ちは捨てます。
できることを淡々と行う姿勢のみを大切にします。

お前は無能だからクビだと言われれる恐怖が生まれるかもしれませんが、それこそよく会社の方針や現状を見て、今の自分の考え方と合っているかと吟味してみることです。
意外に長くいて必要最低限のことをしてくれればそれでいいよという考え方の組織かもしれません。
経営者や役員ではないわけですから、その人たちの気持ちになり会社の運営について考える必要もありません。(ここでいう役員は会社の運営を大きく左右する立場にある人々のことです。役職ではありません)

また人からどう思われるのかと気に病むかもしれませんが、そこにいる間色々言って悩ましてくる人たちは、自分が辞めて困った時に助けてはくれません。
またよく知ろうとしてみると、全く人に関心がない人たちかもしれません。
その人に関心がないわりに首を突っ込んでくる人たちから、あなたの仕事についてあれこれ言われる筋合いはありません。
ましてやプライベートのことに介入する権利は持っていません。
自分のやり方を押し付けてくる失礼で無礼な人だと思って大丈夫です。

そのような人たちの心理は、常に過剰に見られる恐怖を持っており誰かを責めなければ、だれかに嫌な気持ちを吹き込まなければ自分を保てなくなっているのです。

それはその人たちの課題です。
あなたの人生にまったく関係ない。

そう日々心の中で響かせてみてください。

このように知る(現状をありのままを見極めるための)心が大切です。

真剣に自分のできることを行おうとする姿勢は誠実な人(期待しないされない人)にちゃんと伝わるものです。
その姿勢も理解されず、心がざわついて最善を尽くせない状況が続くならばらそこを辞める決断となるでしょう。
また先に述べた無礼な人たちが悪い噂を立てるなどの実害を及ぼすようになった時も辞め時でしょう。
やめた後どうなるという不安もありますが、やめる辞めないで心が病んでいき、会社を休みがちになって「悪い意味で期待されなくなる」ことも考えてみてください。
また病が深刻化し社会復帰に奥の時間が必要になる可能性も考慮してみてください。
うつ病を例に挙げますと、根本の心理があきらかにならない限りは思考の癖は病を好むように仕向けると、これまでの経験から感じています。
薬だけで、休むだけで治るものではないうつ病もあるということです。

葛藤状態が続くとどこかが無理をして病みます。
葛藤は、辞めたら困り果てるという願いをかなえるのを速めます。

当面「辞める!もしくは辞めない!」と方針を決めてその心を一定期間貫く、その中で経験することから得た学びをもとにさらに決断して進む。
この一定期間貫いてその間に起こる事象を感じつくす集中力が大切です。

あともう1点、人は目に見えない雰囲気にも守られています。
自分を相当の悪人だと自覚してそれを実行してない限り、人は良い行いをいつもしています。
いまそうやって真剣に自分の人生を見つめ考えていることも尊く良い行いなのです。

これだけ自分の人生を真剣に考えているのに、先に悪いことが起きるはずはなし!

と自分の幸せを望む時に、奇跡的なご縁(眼に見えない保護)はおきます。
このように言うと「怪しいスピリチュアル」と瞬間考えるかもしれませんが、真実に心から幸せや問題解決を望んで試行錯誤している時、絶望している時、半べそかいて迷っている時に、「どうしましたか?」「何かできることはありますか?」と希望の手が差し伸べられたり、ふと目に留まった本の言葉に気づきを得ることはみな経験していることです。

なぜ怪しいと思うのかというと「周囲の助けを求めてはいけない」と思っているそのマインドがそうさせています。
つまり心理です。

人に頼ることは良い行いです。
人が成長する機会を与えるからです。

他人に善行を行う機会を与え、また自分もそれを行う。

この循環を思い出して下さい。

依存ではありません。
依存は計算して人を利用し、相手や周囲が不幸になる方法でかすめ取ります。
また出来ることをせず、人にさせて自己の成長を止めていますので、最終的にはなんの奇跡も起きなくなります。

自分と他人の幸せを願うなら、知る心でもって視界を広げ、日々もたらされている「ヒント」を受け取ってみてください。